初めて書くはてなブログ、DELE戦争の終わり。過去の話。

mixiから一歩飛び出してみた。

 

これを読んでくれている人は、めちゃくちゃ優しい人か、超優しい人か、神様の3択だと思う。いつもありがとう。

2021年に入って、ブログを書くのが面白いことに気づき、文字を残すことの大切さを覚えた気がする。だから、不定期だけどにあげるブログを見ていただけると嬉しい。

 

そうそう、つい最近まで自分はDELEという魔物と戦っていた。それも巨大な魔物。

スペイン語の資格にこんなに苦しむとは思ってなかったから、DELEが終わった今、解放感が半端ない。なぜ自分がここまで資格に拘ったかを書いて初めてのはてな君を終わりにしよう。

 

僕は日本生まれ日本育ちのペルー国籍。インド人の父親とペルー人の母親の元に生まれました。(この時点で情報量多すぎ、笑)5歳までは別に国のことなんて意識せず育ったし、インターに行ってたから英語も多少はできたと思う。ただ、6歳で人生が変わった。ペルーの学校に4ヶ月いくことになった。ペルーてどこお?とか思ってたんだけど家で話す言葉と同じ言葉を話す国で、今まで住んでたところと違って親近感が半端ないところで衝撃を受けたのを覚えてる。日本では、自分はみんなとは違う存在。名前もカタカナだし、肌の色も違かったし、異質な世界だった。別に悪いとは感じなかったんだけど、どこかアウェイを感じていた。

ただ、ペルーは完全にホームだった。伸び伸び生きていけたし、スペイン語という別言語で話すことが楽しくて、音楽もテレビも面白くてあっという間の4ヶ月だった。

その後帰国して、9歳の時に2週間滞在したっきりペルーには行っていない。それでも僕はペルーに行けなかった10年の間に、ペルーに深い愛情を持っていた。豊かな自然、美味しいご飯、温かい人たち、何もかもが最高だった。だから、スペイン語は家で話してるうちにネイティブになった。正直、他国のルーツを持ってる人でも、その国への関心度によってはその国の言葉を話せずに終わる人が多かったから、自分はそれが嫌でスペイン語に食いついていった。スペイン語が話せないと親戚とも話せないし、祖父母と話せないのは嫌だったからスペイン語を話せてよかったと思ってる。(なんか文章がまとまってないな汗)

 

自分にとって話せて当たり前のスペイン語、それに対する意識がガラリと変わったのは大学入学後だった。第2外国語でスペイン語を履修したのだ。なんで話せるのに今更取るのか、楽単か?と思う人もいるかもしれない。だが、違う。喋りながら覚えた言葉だから、文法のミスも酷かったし、エラーが多くて家族以外とはあまりスペイン語を話すことを避けていた自分にそろそろ嫌気がさしたのだ。話せるならしっかり話せるようになろう。ペルー人なのに話せないなんて恥ずかしい、そう思っていた。(今も多少思ってしまっている。)日本生まれ日本育ちだけど、将来はペルー人として生きたいし、ペルーに骨を埋めたい。それなのに言葉ができないのは恥ずかしいと思った。スペイン語ができる=ペルー人としての当たり前=アイデンティティだと自分の中では思っていたのかもしれない。だからこそ、綺麗に話そうと食いつく勢いで第2言語としてのスペイン語を学んだ。

 スペイン語を勉強していくうちに、DELEと出会った。DELEを持っていると、スペイン語の能力証明として就職や留学に使える。初めは普通にそう思ってたんだけど、途中から「DELEがあれば、スペイン語能力が目に見えるし、舐められない。ネイティブて胸を張れる」と思い始めてB2を目指すことにした。で、気づいたら自分との戦争を起こして心を病んで今に至るわけ。

長すぎるので今度また書くけど、簡単にいうと自分はDELEにこだわりすぎた。DELEを持つことが全てじゃないと最近学べた。みんな自分を認めてくれるようになった、それが嬉しい。だからこそ今はこんなヘンテコなブログを書いて時間を潰して心を回復させようと思います。

 

最後まで読んでくれてありがとう。